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2006年11月06日

● タイトルバック『冬山』・・・

 皆様、タイトルバックの山の写真替えました。これまではネパール・ポカラからのヒマラヤ・マチャプチャレの写真でしたが・・・昔のアルバムひっくり返して、『北アルプス・五竜岳の朝焼』の写真引っ張り出してきました。

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 なんだかこの写真みると、当時の緊張感が蘇ってきます。五竜遠見尾根、標高2500mぐらいの地点、西遠見池付近での雪洞ビバークが懐かしい思い出です。1980年の3月初め、大学3年の頃でした。

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 凍てつく厳冬の朝、雪洞から相棒と一緒に顔だすと・・・そこには、信じられないくらいの美しい景色。朝焼けに染まる五竜岳〜鹿島槍ヶ岳に連なる峰々がひろがり、感嘆の声をあげていました。

 前日の午前まで吹雪いていた天気がピーカン晴れになり、絶好の頂上アタック日和です。慌ててアタック準備にとりかかったものでした。でも、登山靴やらピッケル、ザイルやらアイスハンマーはカチカチに凍てついています。寒さでかじかんだ手、カチカチに凍ったアイゼンバンド締めつけるのにも時間がかかってしまいます。

 ぴ~んと張りつめた凍てつく空気。朝焼けの山々が、徐々に淡いピンク色~ブルーに変化していきます。頂上アタックに向けてピリッとした緊張感とはやる気持ち、ワクワク感・・・今でもコノ写真みると当時の感覚が蘇ってくるようです。

 当時は、五竜岳・白馬岳・鹿島槍ケ岳等々、北アルプスは後立山連峰が好きでした。冬山といえば必ず後立山連峰にいっていました、大学の勉強ほっぽり出して・・・。

 雪山の白馬岳バリエーションルート、白馬主峰主稜や杓子岳杓子尾根などは何度も登ったものです。五月ゴールデンウィークの頃にはスキー担いで主峰主稜登攀~下りは大雪渓スキー滑降~、なんてのもやりました。でも、不思議と12月~5月までの雪山シーズンしか行ったことがありません、北アルプス・後立山連峰には。


 鹿島槍ヶ岳の東尾根は、後に1987年の正月にチャレンジしました。でも、当時仕事にエネルギー費やしはじめた?頃、ど根性とパワー不足がたたり、東尾根第二岩峰手前での「退却」でした・・・。 

 心残りでやり残した感じの後立山連峰・冬のバリエーションルートといえば、「五竜岳のG2やG5と呼ばれる雪凌ルートからの登攀」や「鹿島槍ヶ岳のダイレクト尾根や鎌尾根(超ド級難関ルートの鹿島槍北壁や荒沢奥壁は諦めていました)」等々・・・。

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 そんなこんなで、冬山の写真で残っているものは全て、ピーカンの好天時の時のものばかり、悪天候時の冬山は、吹雪で写真どころではありませんでしたので・・・。
 当時の冬山の写真、あらためて眺めていると・・・ピーンと張りつめた厳寒の空気感、圧倒されるような雄大な冬山、その大自然の中での人間の存在のちっぽけさ・・・なんかを感じていたことを思い出します。それらの感覚が一種、恐怖感とともに自然への畏敬の念にも繋がっていました。それでも、圧倒される程の美しい峰々をバックに、一歩一歩登り始めれば勇気も湧き、その緊張感や高揚感こそが冬山登山の醍醐味とも思っていました。夏の山登りとは、ちょと違う張りつめた感覚が好きでした。都会での日常生活では、なかかな味わうことのできない達成感を冬山登山にみいだしていた20代の頃でありました。


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2006年08月20日

● 昔ばなし・・・・

 今朝、お盆開け二回目「テクテク歩き通勤」してきた。でも「ジョギング通勤」には、まだキツイ。自宅から、おおよそ8.2kmの距離、前回が片道1時間30分かかったところ、今回は15分短縮して1時間15分だった。とりあえず、目標を片道1時間以内!としているが・・・こりゃあ、相当早歩き(若しくは走り)しないと1時間では事務所辿り着かんなぁ、と思う。今日の帰り道は、ガンバッテ1時間きるぞぉ!と独りきりの事務所で叫ぶ(スタッフは今日まで、盆休み)。

 独り、事務所までの道テクテクせっせと歩いていると、なんだか昔とった杵柄、山登りに夢中になっていた10代、20代のころ思い出した。

 高校の頃、真夏の大日岳〜剣岳めざして、30kgのリュックサック背負って、エッチラおっちら登ったっけ・・・。大学にはいると、背負うリュックも40kgオーバーになり、二週間もあっつ〜い南アルプスを縦走した。あの頃、歩き初めはいつも死に切りシンドク、鬼にしか見えない先輩ぶん殴って逃げ出したくなるような思いだった。それでも二日目三日目とたつうちに、肩の重荷にも馴れてきて、足取りもそれなりに快調になったりして・・・廻りの景色も絶景素晴らしく、それが山登りの魅力、どんどんのめり込んでいったなぁ。
 そんな、クソ暑いったらありゃあしない夏の山登り、そのうち夏山のは飽き足らず「冬山」だの「岩登り」だのとエスカレート、そりゃあ親は心配で心配で堪らなかったみたい・・・。

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あっつ〜いこの時期に、涼しげな写真をおひとつ。

大学3年の冬、北アルプスの五竜岳の時のもの。確か、3月の初め頃だったと思うが、幸い好天に恵まれ、至極快適な冬山登山だった。山スキー始めた頃で、山スキー使って、五竜遠見尾根から五竜岳の登頂。山スキーには邪魔だと、幕営用のテントは持たず、雪洞ビバークでいったっけ・・・。

スキーの他、約5日分の食料と頂上直下の雪凌登攀用にザイルだのスノーアンカーだの色々もち、約25kg担いでの山スキー登山だった。下りのスキーは、快適に滑る?とはほど遠いほど、見るに堪えないヘタクソスキーだったなぁ・・・。

 でも、あの頃ひたすら山登りで鍛えたど根性のおかげ、今の仕事人生どんなに辛かろうが、諦めない・めげない・頑張り通せる、っていうような気がする。

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2005年12月24日

● むかし、むかし・・・・

 大昔、BOSSは『山登り』に、それはそれはのめりこんでいました。冬の日には、泣きつく親をあとにして、厳寒の北アルプスで雪稜クライミング。夏のクソ暑い日には剣岳で岩登り、小〜さな蝉の如く岩壁にへばりつき、嬉々としているBOSSがおりました。親は悲しみ、学校サボって、職場の同僚に呆れられ、それはそれは愉しくも充実した青春の日々でした。おかげで大学では、留年まででき、余計に山登りに呆けていました。ところが、30歳を迎えたある日の白馬岳、それまでなんども登ったことのある雪稜クライミング、足が震えてビビった自分に気がつきました。『あ〜、もう山なんかヤメだぁ!オレには仕事があるんだぁ!』って叫んで、、、建設中だった218HOUSEの現場に戻った、とさ・・・・。

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 これまでにcolumnで紹介した山登りネタ・・・・・・・・

【2003.04.12・・・No.20 ダルバート・・・】

【2003.04.13・・・No.21 Curry・・・】

【2004.02.11・・・No.53 オーガニックトマト・・・】

【2004.03.14・・・No.56 麦焼酎・・・】