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2008年12月13日

● 20年振りの北アルプス登山

今年の夏のハナシです。高校時代のワンゲル同好会の先輩宛に書いたメール・・・

From: Archi.Studio片岡幸博
Subject: 写真有り難うございました
Date: 2008年8月24日 15:08:27:JST
To: A.Yさま

 5月のワンゲルOB会の写真有り難うございました。OB会幹事のお役目、お疲れ様です。それにしても、写真眺めて、ワンゲルの諸先輩方はじめ後輩まで、皆さん揃って(自分も含めて)オッサンになったものと、感慨にふけります。

先日お盆前に息子(中2年生)連れてテント担いで、2泊3日上高地〜涸沢〜北穂いってきました。

 上高地・穂高と言えば春夏秋冬、何度も何度も山登りに行った懐かしの山です。最後に行ったのが確か27〜28歳の頃?だったから、実に20年以上振りでした。もちろん、穂高、涸沢に初めていった○○高校ワンゲル同好会での「上高地・穂高 夏山合宿」の時の事も大変懐かしく思い、大いに感傷感慨にふけってまいりました。

 高一の時の上高地での夏山合宿、A.Yさんや今は亡き同学年のS君とのこと、OBの幸三サンにシゴかれたこと、ガソリン水飲まされた?こと、夏山合宿初日で疲疲労困憊してしまい、S君と「キッツ〜イなぁ・・・早よう、帰りたいなぁ」などと話していたこと・・・などなど・・・明神の河原でテント張った場所、徳本峠へと続く道、涸沢からパノラマコース、等々・・・懐かしい思い出に浸りつつ、息子に当時の出来事などを自慢げに語ってみましたが、ふ〜ん、とばかりで、聞いてくれたかどうか??。私事ですが、今年の三月に、二十年振り以上に、S君のお墓参りしてきました。

 今の時代「山」の世界もすっかり変わってしまい、当時のような「山登り」に没頭した「山馬鹿」は皆無の様子・・・一方では、超徹底した「自然保護・環境保護」に目を見張りました。

 当時のように「明神の河原でテント張る」なんてのは、とんでもない時代、パトロールに怒られる前に、一般登山者・観光客から非難の嵐に晒されそうな雰囲気です。それこそ、勝手にその辺で小キジでもうとうものなら、観光客・一般登山者から石投げつけられそうです。

 昔のように、朝デッパ(出発)してから一本目の休憩時に、皆でキジ紙もって「ハイマツの斜面でキジをうつぅ〜♪」なんてのは、非常識きわまりまい行為、そもそも一般登山道はみだす行為自体がレッドカード、パトロールに怒られる前に、一般登山者・観光客から退場宣告されそうです・・・。ですから、そのような行為は許されずに、ひたすら次の山小屋の有料トイレまでのガマンでした。次の山小屋の有料トイレでは、決まって列をなしての順番待ちです。

 今では、上高地から上の山小屋には、全て「有料トイレ」が整備されています。昨年の夏、息子と中央アルプス宝剣岳に行ったときも、ちょっと道はずれて雪渓の上歩いただけでも、一般人から非難されてしまいました・・・。

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 涸沢のテント場、石ゴロゴロ状態だけは昔とちっとも変わらず、シュラフのエアーマット持っていって大正解でした。

 いまでは、テントの数もめっきり減ってしまい(お盆の頃でさえ)、ましてや涸沢で何日も合宿して「山登り」に没頭するような「山馬鹿パーティ」も皆無です。テント場の皆さん、夜7時には静か〜に御就寝〜朝4時にはゴソゴソ活動しだします。大変模範的な方ばかりです(ウチのそうですが・・・)。昔の涸沢といったら、夜中までアチコチのテントで酒盛りしちゃあ、テントの外へでて大声で「ワタクシわぁ〜、○○大学山岳部のぉ〜○○でぇ〜す!!・・・一曲歌わせいただきま〜す!!」なんてのが、普通にあったもんでしたねぇ。

涸沢のテント場、やはり水場での食器洗いは厳禁になっていました。

 昔のテント場では、アチコチの山岳部(山岳会)パーティが、大鍋で大量の飯炊きとお決まりのカレー造りをしていたものですが、そんな光景も当然皆無。テント場の皆さん、どなたもカップ拉麺のような食事。そりゃあカップ拉麺ならば、ゴミ持ち帰るだけで済むし、水場で大鍋洗わずにすむわなぁ。。。なんて感心?してしまいました。ウチの食料は、アルファ米に袋入りの拉麺「札幌一番、出前一丁」でしたが、水場でのコッヘル洗いはしませんでした(冬山のようにキジ紙でふきとるだけ)。

 確かに、そのおかげで登山道やテント場、水場はゴミひとつ落ちていなくて清潔そのもの、自然環境への保全意識には目を見張るものがあります。それと、登山者皆さんも大変お行儀がいいです。

 一方では、涸沢小屋にいけば生ビールにワインにピザにパフェ、まるきり街中のカフェ並のメニューで、小屋泊まりは繁盛していました。息子と北穂から帰ってきて涸沢小屋に立寄ったおり、誘惑にかてずに、ついつい煽ってしまった生ビールの味、ありゃあこれまでのの人生で一番旨かったビール・・・でした♪。

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 昔知るものからすれば、何だか息がつまりそうな自然保護で、複雑な思いと同時に、ちゃんとその成果がでていて、大切に自然が保護されている(しなければいけない)ことも実感できた次第です。

 そりゃあ、人間だって自然の中の動物だろう?でるものは出るさぁ、昔誰かが言っていた「人間が死んでいなくなるのが、一番のエコだ!」ってか。

 そんなこんなで、息子に「昔、パパの頃はなぁ〜」なんて自慢話しつつ、大変懐かしくも、昔に比べてちょっぴり寂しい雰囲気の涸沢でした・・・。

 帰りは、パノラマコースから、と思って屏風頭にむかいました、が、パノラマコースも大変荒廃しており、結構危険な状態でした。息子にはそれなりに荷物背負わせていたので、チョイと危険だなぁ、と思い、屏風頭までさえも行かずに、結局退散、〜涸沢まで引き返して一般道から帰りました。

 まぁ、久し振りに、完璧に仕事の悩みなんぞすっかり忘れて、呆けることができた二泊3日の旅で、心身ともにスッキリできました。息子のとっては、初めてのテント泊まりの本格的?な山登りに少しはカルチャーショック受けたみたいです。果たして、来年以降も息子が「パパのための山登り?」に付き合ってくれるか??、心配ではあります。

 何だか、まいどまいど自分事ばかり書いてしまい、恐縮です。なにせ、ブログも1年以上休載状態で「自分事」書く機会もなく・・・、そもそもブログ休載しちゃったのも、いい加減ネタが尽きたことでしたが・・・そろそろ、マラソンネタやら山登りネタも増えてきたころだし、ブログ再開しようか?とも思ってはいますが・・・仕事ネタの方は、例の「確認申請がおりん」問題が相も変わらず続いている建築業界、ブログで仕事ネタ書くと、愚痴と国交省批判のオンパレードになりそうなので・・・やはりブログは控えようか?と、迷っています。

それでは、またの再会を楽しみにしております。お元気で。


2008年12月02日

● 静かな秋山・・・

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 昨年のハナシですが、11月の晩秋に息子と鈴鹿「水沢峠〜鎌ヶ岳 縦走」いってきました。結構、楽勝ペースで山歩きできました。息子も持久力系は得意なもんで。

 鈴鹿の鎌ヶ岳は高校二年生の時以来だから、なんと32年振り?でした。さすがに32年も前のこととなると、当時の記憶など定かではありません。

 30年も前の頃は、まだ大学高校なんかの山岳・ワンゲル部もそれなりに活発で、鈴鹿山系への入山者も多かったものでした。ところが、いまでは若者登山者がめっきりす少なくなってしまい、高齢者登山ブームの中、高齢の方々ばかりが目立ちます。入山者の数も当時にくらべると数少なくなっているようでした。かくいうBOSSも50歳近い中高年登山者ですが・・・。

 鈴鹿山系への入山者も少なくなり、登山道も廃れぎみです。BOSSと息子も登り始めからいきなり道に迷ったり、の珍道中ではありました。それでも、約7時間余りの日帰り登山、昔と変わらない紅葉真っ盛りの秋山を愉しんでまいりました。

2008年11月17日

● その後の息子連れての山登り

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 その後息子連れての山登り、昨年の7月に中央アルプス「千畳敷〜木曽駒岳〜宝剣岳〜千畳敷」に行ってきました。結構楽勝ペースで山歩きできました。中央アルプス宝剣岳いったのは、かれこれ22年ぶりです。相も変わらず息子に「昔、パパのはなぁ〜」なんて自慢話交えながらの昔懐かしい山登りでした。

 しっかし・・・それにしても中央アルプス宝剣岳は怖かったデス。一般ルートでさえも断崖絶壁の岩場が連続して・・・、おまけに天候にも恵まれず一日中ガス(=山用語で濃霧、雲の中のこと)巻く山の天気、谷底が見えない岩場に余計恐怖感が募ってしまいます。山っていうのは、ガス巻いているときの方が、神秘感や孤独感、先行きの不安感などが増して、岩場の谷底が奈落の底に思えてしまうものです。

 昔なら、所詮の一般登山道、岩場ぐらい平気でヒョイヒョイと登っていたものでしたが・・・ところが、どっこい、昔とった杵柄はどこへいったのやら、一般登山道と言えども岩場の連続にビビリまくりでした。

 おまけに、パパでさえコワ〜イって思っていると、そこを我が息子が通過する時には、そりゃあドキドキですわぁ・・・、思わずザイルもってくりゃあよかったなぁ、と後悔さえしてしまいました。

 思えば20余年も前、当時クサイ仲だったNAO君と、12月初旬に正月登山の準備(耐寒・登攀)訓練にと、吹雪で視界2〜3mの中、ここ宝剣岳登ったっけ・・・遠〜い、むかし話である。


 まぁ、それでも7月末の中央アルプス千畳敷、可憐な高山植物が咲き誇り、存分に癒された思いでした。写真は「シナノキンバイ」です。

2008年10月31日

● 山登り再開!

 昨年の夏頃より、昔取った杵柄じゃあないが、「山登り」をぼちぼち再開しました。ケッタ(自転車)通勤やらランニングやらで、BOSSも体力・持久力ができてきて、中一になった息子連れて。

 ウチの息子は学校でも持久力系の1500m走が得意なことと、少々甘ったれた根性叩き直そうか?と思って。ウチの奥方に言わせりゃア「息子をダシにして・・・山行きたいンでしょ!」ってことらしい・・・。

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 そいでもって、まずは基礎技術と思い、名古屋市内のフリークライミング練習場に息子連れて行ってきました。

 息子には、クライミングの基本中の基本である「三点確保の登り方(両手足四点のうち一点だけ動かして登る)」を教えつつ「昔、パパのはなぁ〜」なんて自慢話交えながら、かれこれ二十年振りにクライミングらしきものを、一応楽しんでまいりました。

 ただ、BOSSの履いているクライミングシューズは25年も前のもの(←実はこれが自慢で「オレは、昔は本格的なクライマーだったんだゾぉ」ってか?)、なんだか廻りの他の若きクライマーさん達からは、年齢も身なりもどうやら浮いてしまっているようでした。

 昨年6月に息子ともども「山歩き(再)デビュー」果たしたコースが鈴鹿山系の御在所岳。中道コース〜御在所〜国見岳〜国見尾根下山、ルートでした。息子連れて、ってこともあり、自分のブランクと体力不安とも鑑みて、万が一エスケープができる御在所を選択した次第。

 初めての山歩き体験した息子は、6〜7時間の山歩きにバテテしまうこともなく、むしろ他の登山者よりも早いペースで歩き通せたようです。


 BOSSにしてみれば、かれこれ20年振りの山歩き、でもまぁここ2〜3年のケッタ(自転車)通勤やら、必死こいて走り込んでいるお陰様、体力的には余力をもって歩け、一安心でした。息子ともども、事故・怪我もなくホッとしました。